【キングダム】嬴政の正室は宮女・向?子供・麗や父・母等家族との関係まとめ

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キングダムは戦場で駆け回る後の大将軍である李信が主役です。

しかし物語の中心は中華統一への道を起点に話が進んでいます。

このことから考えると中華統一の中心である嬴政が主役でもおかしくはないでしょう。

実際作者の原先生も当初は嬴政の主役を考えていたとの言葉があります。

つまり、キングダムの準主役は嬴政であると言えるのです。

この超重要キャラである嬴政の家族・血縁関係を理解すると、より深くキングダムの物語を理解することが出来ます。

後の始皇帝である嬴政とは一体何者なのか、その嬴政と家族の関係のまとめです。

嬴政と仲睦まじい宮女・向は正室なのか?

キングダムの物語に出てくる嬴政と仲睦まじい宮女・向。

嬴政の御子を産んで一見すると嬴政の正室の様に感じてしまいますが実際のところはどうなのでしょうか?

史実で嬴政の正室はいたかどうかは不明

実は史実には嬴政の妻についての情報は残されていません。

嬴政が正室を置いていたのかも分かりません。

こうなると、キングダムに於いては創作の領域になってきます。

つまり、嬴政の正室がいるのか?いるとしたら誰になるかは作者の原先生次第だと言えます。

嬴政の正妻はやはり向が有力

仮定の話になりますが、キングダムで嬴政が正室を置くとすると誰になるのでしょうか?

そもそも向以外の宮女に可能性があるかどうかですが、可能性がある宮女が1人います。

実は作中では向以外の宮女が先に懐妊していたことが描かれています。

その事実から向の子供よりその宮女の子供の方が序列的には先になるでしょう。

つまり、その宮女にも正室の可能性があると考えられます。

しかし、作中では今のところその宮女の描写が一切無くありません。

従って宮中での向や麗の立場も不明のままです。

こうなると予測の範囲になってしまいますが、随分前から嬴政とのエピソード等が描かれていた宮女・向が正室になる方が物語の流れ的には自然だと感じられます。

向との子供・麗の立場は?

宮女・向との子供は女の子で名前を麗と言います。

大王の御子ですので当然秦国では重要な存在です。

実際、嫪毐の乱で秦国王都・咸陽が狙われて宮中の人々も命の危機にあった時には宮女が麗を命懸けで守ろうとする言動が描かれています。

上にも書きましたが麗には腹違いの兄か姉の存在があり、史実でも嬴政には男女合わせて30人余りの子がいたということです。

その様な状況から考えると女性ということもあり、麗は少ない世継ぎ候補というよりは、あくまで重要な王族の中の1人といった立場であると考えられます。

嬴政と麗の仲は良好

作中で麗は嬴政にかなり懐いている様子が描かれています。

向が麗を身籠った時も産まれた時も嬴政は2人に寄り添っている印象です。

嬴政は2人に対して愛情深いと考えられます。

まだまだ子供である麗が自ずから嬴政に寄っていくということは普段から麗に対して愛情がある言動をしているということでしょうから、現在のところ嬴政と麗の関係は極めて良好だと言えるでしょう。

母である秦国の大后との仲は最悪!?

キングダムの作中では大后は息子の嬴政に対して一切の愛情を示しません。

嬴政には歩み寄りの姿勢が観られますが大后には無いのです。

それどころか嬴政の生死すらどうとも思っていない様子ですので親子としての関係性としては最悪と言えるかもしれません。

それに比べると嬴政はまだ自分の母親に対する愛情がある様に感じます。

というのも、嫪毐の反乱後本来は全員斬首であるはずの嫪毐と大后の間にできた子供ですが、慈悲をみせるのです。

大后にその子達を秘密裏に生かしておく約束をして慈愛の目で大后の姿を見つめます。

そして『生きて下さい』と伝えます。

自分の立場・命を奪おうとした母に対してです。

悲しいですが2人の関係は嬴政から大后に対して一方的に愛情をかける関係となっています。

父はもしかすると呂不韋?その可能性は…

嬴政の父が呂不韋である説とは…

作中でも歴史上でも、嬴政は呂不韋の子ではないかとの説があります。

というのも、呂不韋は荘襄王がまだ王になる前から荘襄王に投資をしていて、自身の女性であった後の大后をも荘襄王に献上しています。

しかし、献上した時大后が既に嬴政をお腹に宿していたのではないかと疑われているのがその説です。

嬴政が王族である理由は父親が荘襄王であるからですよね。

それが実は王族の血ではなく趙国の一商人であった呂不韋の血を継いでいましたという事になれば大事件です。

一商人の国の乗っ取りであり、一種のクーデターとも言える訳です。

呂不韋が父である可能性は低い

史実では『嬴政の父親が呂不韋』説は可能性が低いとされており、キングダムでも同様に低いという流れでした。

その理由としては呂不韋の子供だとするには期間的には無理ではないかと考えられるからです。

大后が荘襄王の元に行く前に子を宿していたとすると、生まれるまでの期間が長過ぎるというのがその理由となっています。

確かにそうなるとその説には無理があるかと考えられますが、誰かしらが後から嬴政の生年月日を改竄していたとすれば可能性は残ります。

実際、時の政権が歴史を自分達の都合が良いように改竄することはあるようです。

結局実際のところは当事者達のみが知ると言ったところでしょう。

ですがここでは結論として嬴政の父親は荘襄王である可能性が高いと結論付けておきます。

まとめ

後の始皇帝である秦王・嬴政の近親者についてまとめてきました。

両親との関わりが薄い中で育ってきた嬴政。

特に母である大后からは一切の愛情を示されることがありませんでした。

辛い幼少期でしたが成功する人は往々にして辛い過去をもっていたりします。

そう考えると嬴政が前例のない大偉業を成し遂げる事が出来たのも辛い過去があったからかもしれませんね。

キングダムでは大人になった嬴政が宮女・向や娘・麗と共に温かい家庭を築きつつあるように見えます。

中華統一までの多忙な中で一時の安らぎを家族から受けられる。

そんな幸せな、仲の良い家庭に育つといいですね。

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