キングダムでラスボス感すらあった龐煖が最期を迎えました。
主人公の憧れの大将軍であった王騎の仇・龐煖を大将軍になった主人公が討ち果たす。
そういった流れでエンディングを迎えても全くおかしくないと思っていましたが、そこはやはり史実を元にしたキングダムです。一筋縄ではいきません。
物語上でも大きな出来事となった龐煖の死を中心に龐煖とは一体何者だったのかを詳しくまとめていきます。
龐煖の最後は信との激闘
朱海平原の戦いの終盤、趙軍の本陣を追い詰める飛信隊の前に突如武神・龐煖が現れる。
序盤は羌瘣との一騎討ちで深手を負いながらも勝利した龐煖。
続いてこちらも大戦の中で深手を負っていた信との一騎討ちが始まる。
序盤戦こそ信を圧倒した龐煖だったが何度も立ち上がり、徐々に互角の戦いを見せていく信。
最終的に命の火を燃やし尽くすほど力を出しきった信に龐煖は両断された。
正直、将軍にもなっていない信が龐煖に勝つのは厳しいかなと思っていましたが、信が現時点で龐煖に勝ってしまうという結果になりました。
信も龐煖を両断した後、仮死状態となって命の危機にあったのですが、羌瘣がそれを救っています。
ともあれ、これが作中で武力最強クラスの武神・龐煖の最期となりました。
龐煖vs信の最期の戦い決着は単行本58巻第627話
龐煖最期の戦いが描かれているのは単行本の57巻第622話~58巻第627話です。
信との戦いの前、羌瘣との戦いや決着後の龐煖の生い立ちまで入れるとその前後となります。
是非とも実際に読んで確認してみて下さいね。
龐煖の特異な特徴大全
龐煖を知る上で絶対に知っておくべき特徴をまとめました。
龐煖は実在した武将
オリジナルキャラクターも多いキングダムですが、龐煖はどうなのでしょうか?
作中では武神として人間離れした武力の持ち主として描かれています。
ですから龐煖はオリジナルキャラクターなのではと思いがちですが実は実在した武将なのです。
史実での龐煖は趙の有名な将軍でした。
実は作中の武神の姿とは全く違って文武両道の人物であり、戦わずして勝つ事の重要性を理解していた稀有な武将でした。
武神・龐煖とは全く違った人物像が思い描かれますね。
作中と同じく、総大将として劇辛将軍を討ったり合従軍の精鋭隊を率いて蕞を攻める等しました。
その後は秦軍が鄴を攻め落とした後から歴史から名前が消えます。
作中ではそのタイミングで信が龐煖を討つことになりましたが、実際のその後の消息は不明です。
不思議な力を持っていた龐煖の両親
原作の中で龐煖の生い立ちが少し語られています。
龐煖の両親はとある立ち寄った村で病気の人や怪我人を不思議な力で治していました。
その傍らにはまだ1歳にも満たないであろう赤ん坊の龐煖が。
ある日山から武神が下りてきてこの村の人々と龐夫妻を皆殺しにし、まだ赤ん坊の龐煖を拐っていきました。
武神は才能がある子供を山に拐って育てる伝統があるので不思議な力を持った赤ん坊の龐煖に目をつけてやってきたと考えられます。
ともあれ、この両親譲りの不思議な力こそが他の武神と龐煖との違いなのではないでしょうか。
燕の大将軍だった劇辛が作中で他の武神達について語っています。その内容は以下の通りです。
劇辛が若い頃に故郷の山に武神と名乗る者達がいた。
その者達は里に下りてきては悪さをしたので劇辛が何人も切り伏せた、ということでした。
後に劇辛が龐煖に武力で圧倒され敗れるところを観ると、やはり龐煖は他の武神とはかけ離れた力の持ち主だったと考えられます。
龐煖の攻撃音『フォン』
キングダムの特徴の1つとしてキャラ別で攻撃音が違うということが挙げられます。
色々な音がありますが、武神・龐煖の大矛を振るう音は『フォン』です。
これで多くの人気キャラがやられてきましたからキングダム読者からすれば嫌な音になっているでしょう。
龐煖が嫌い!?その理由は…
キングダム読者の間では嫌われキャラの龐煖。
人気ナンバーワンの王騎将軍を討ったことも嫌われる理由となったのかもしれませんが、龐煖なんかいらない、という声すら聞こえてくる程でした。
不人気の理由
龐煖の不人気の理由は主に二つです。
- 王騎・麃公など人気キャラを次々と倒した。
- 強すぎて作中のパワーバランス崩壊。
1.は王騎も麃公もキングダムの人気キャラクターなのでこれを討ってしまったことが原因でしょう。
しかもこれに加えて第一回公式人気ランキングで一位になる程の人気を誇る羌瘣をも打ちのめしてしまったことで完全に読者の怒りを買ってしまったようです。
2.は龐煖が強すぎて冷めるという意見もありました。
パワーバランスが壊れるようなキャラは好きではないとの声も…
とはいえこれは一部の意見であり読者全ての声ではありません。龐煖を好きな人も必ずいます。
実際、公式人気ランキングでも龐煖に投票された方がいました。
これは龐煖ファンの存在を示す根拠となります。
趙国の武の象徴・三大天龐煖
作中では趙国三大天の一人としてあの李牧と共に趙国を代表する大将軍となっています。
軍を率いる類いの人物ではなく本来は武将でもない龐煖。
しかし実際に存在した武将ですから総大将を務めた大戦が幾つもあります。
これを作中で描く時、武神・龐煖では万を超える軍のトップとしては成立しません。
そこで、作中でその様な大戦を描く場合には龐煖を総大将として立てておいて、李牧や趙荘が実質的に指揮をとっている様子が描かれています。
そうすることで史実と漫画の武神・龐煖の間を埋めているのでしょう。
龐煖の技
武神である龐煖は様々な技を持っています。
ここではその技の数々をご紹介します。
- 大量の大矛残像
- 死角からの突き
- ヒーラーとしての能力
- 常人には聞こえない声が聞こえる
1.大矛が大量の残像を残す技
1.は攻撃時の矛が高速移動によって矛がいくつも見えるようにしたものです。
相手からすればどこを防げば良いか分からずに結局多方面から攻撃を受け、ダメージを受けてしまいます。
この攻撃は王騎将軍や信もなかなか防ぐことが出来ませんでした。
2.後ろ向きになり死角からの攻撃
2.龐煖が後ろを向き、自身のマントで矛の出所を隠して相手に突きを当てる技です。
少年時代の信はこれで逆突きを当てられて気を送り込まれ体内でもダメージを与えられました。
これによって信は半日は意識が戻りませんでした。
羌瘣が『あれを食らってよく生きていた』という程ですから相当な威力がある攻撃だと言えます。
3.ヒーリング能力
3.龐煖の両親は他人の病気や怪我を治す不思議な力を持った人間でした。
龐煖もそれを受け継いでおり、作中でも回想シーンではありますが瀕死の李牧を回復させています。
また、自身も王騎に敗れた際に通常なら死んでいる程の大怪我をしながら生き長らえています。
常識では考えられない回復力とヒーラーとしての能力を有しています。
4.見えざる者との交信
4.龐煖には普通の人には聞こえない地の声が聞こえます。
それはお告げのようなもので、李牧と出会った際に『李牧は武神の道の答えを示す人間』だとの声があり李牧を助けたのでした。
正に求道者ならではの能力でしょう。
傷の疼き
龐煖は王騎の事を思い出すと頭に血が上り、王騎につけられた傷が疼きます。
他にも自身と力が近そうな人物に出会うと怒りで頭に血が上るのです。
武神としての道の終着地に立っていながら、いるはずがない自身の力に抗う存在に苛立ちを抑えきれないからだと考えられます。
それは天に圧倒的な武の模を示すという武神の道を完遂出来ない苛立ちでもあるのでしょう。
我武神龐煖也(われぶしんほうけんなり)=ワレブ
我武神龐煖也とは龐煖が戦場で登場した時に言うセリフです。
この言葉の前後も大体同じ内容のセリフを言うのですが、我武神… が最も有名です。
ネット上ではワレブと略されて広まり、ワレブは龐煖の事を指す言葉になりました。
自分のことを武神だと言ってしまうこの言葉。
常識から考えると少し頭がおかしいのかと思ってしまいますが龐煖は大真面目です。
漫画のキャラクターとはいえ違和感を感じますが、これは武神の事を理解することで消えるはずです。
武神とは一体何なのかを次の項で詳しく説明していきます。
武神は求道者の形の一種
求道者の目的は人類の救済
武神とは求道者の1つの形です。そして求道者とは道を求める者の事です。
では求道者は何故道を求めるのかというと人類の救済が目的なのです。
遥か昔、争うばかりの人の世を憂いた賢者達が集まって真剣に話し合った結果、偏愛がある限り争いは生まれると結論づけました。
つまり“情がある限り苦しみの世は変わらない”としたのです。
しかし人間には情があります。それは切っても切れません。
この矛盾を解決する方法として求道者はこの世から争いを無くすためには人は人を超えた存在にならなければならないと考えたのです。
そして求道者の考えでは人間の内の誰か1人でも人を超えた模範となる者が現れれば全体に変化が起こり、皆が一斉に上に昇ることになるそうです。
その模範を天に示すことこそが求道者=武神の目的なのです。
つまり、龐煖などの武神とは武を極めて人間を超え、超越者となることで人類から争いを消し去り人類を救済するのが目的だといえます。
人類から争いを無くして救済するために多くの人命を奪っていく龐煖の姿は何とも矛盾に満ちている様にも思いますが…
ちなみに、武神は求道者の1つの道にすぎません。他の方法(瞑想など)で人を超えようとしている求道者もいます。
求道者の考えを順を追ってまとめると…
- この世から争いを無くしたい
- 偏愛・情がある限り争いは無くならない
- 人間と情は切っても切れない
- 争いを無くすには人間は皆人を超えた存在にならなければならない
- 1人でも超越者が現れれば人は皆人を超えた存在になる
- 人を超えた模を天に示す
- それぞれ自分の道で人間を超える存在を目指す。
武神は感情を否定して、ただ人を超えた模を天に示すのみの存在です。
従って愛などの感情は持ち合わせていません。
元々は人類救済が目的の筈が、愛情を一切持っていないという状態なのです。
他の求道者も同じ様に人類の救済を願って己の行動を始めています。しかしそのために人間の感情や繋がりを否定。
人を救うために人の感情や繋がりを否定するという矛盾した行動になってしまっているのです。
龐煖が抱えていた矛盾
キングダムでの武将の強さの一つとして関わった人々の想いを紡いでそれを力に変えて戦うというものです。
これに対して個人で武の結晶になった龐煖。
人との繋がりを断つことで武の極みに立っていた筈でした。
しかし力も技も極みに到達しているにも関わらず勝てない相手がいること、立ち向かってこれる人間がいることに最後まで疑問を抱いていました。
つまり人との繋がりがあってこそ最強になれるという事実に気付かずに人との繋がりを断って最強を目指していたということが龐煖の抱える矛盾だったのです。
龐煖の死が意味する人の繋がりの重要性
己の全てを武に捧げた生涯で正に武の極みに立っていたと作中で評価を受ける龐煖。
実際、天下の大将軍だった王騎を相手にした一騎討ちでも、単純な力や技においては王騎将軍を上回っていました。
ましてや信との力の差は相当な差があったと考えられます。
それでも龐煖は信に敗れてその生涯を閉じました。
龐煖は自身の強さとは対極の力に敗れたことになります。
その力とは人との繋がりが源泉の力です。
関わった人達の想いを紡いでそれを力に変えて戦う戦い方。
キングダムの世界では大将軍の強さはそこにあると言われています。
つまり龐煖が信に敗れたことで人との繋がりの力こそ最強だということが確定したということです。
個人の武力 < 人の想いを紡いだ武将の力
ただ、龐煖は結果的に王騎・劇辛・麃公・摎等の天下の大将軍達を討っています。
そこを考えると、いくら人の想いを背負っているとはいっても実力差があまりに大きいと勝敗を超えるところまではいかないようです。
龐煖と天下の大将軍の武力の違いをさらに詳しく!
龐煖等の武神は人との繋がりが鎖となって能力の現出を妨げると考えています。
そのために独り山に籠って修行をしているのです。これは蚩尤族と同様の考え方だと言えます。
蚩尤も意識をこの世に縛り付ける情を排除することで意識をいつでも内に向けて潜在能力を発揮するのです。
これに対して大将軍に代表される武将の力は関わった人の想いを紡いでそれを力に変える戦い方です。
この2つの力は正に対極にあるものです。
- 人の想いを紡いでそれを束にして力に変える(武将)
- 人との繋がりを断って意識を内に向けて潜在能力を発揮する力(武神・蚩尤)
李牧との出会いが道の答えに繋がる
若い頃の李牧は戦に溺れた青年でした。戦で多くのものを失っていたのです。
そして遂には自身の命さえ失いかけていました。
ある戦で重症を負い臓物を引きずりながら何とか追っ手から山に逃げ込んだ李牧。
もはやこれまでかというところで龐煖に出会います。
龐煖は自分にしか聞こえないという地の声を聞きます。この声が道の答えに導く者は李牧だと忠告するのです。
この忠告を聞き入れた龐煖は李牧の怪我を不思議な力で癒し、李牧を追ってきた敵を全て葬り去ったのでした。
この地の声の通り龐煖は道の答えに李牧に導かれていくのです。
龐煖の道の答え
最期の戦いの中で龐煖は自分の歩んできた道は道そもそもが無かったのではないかと一瞬考えます。
すぐにその考えを否定して戦い始めるのですが、結果的にこれが現時点での結論になります。
人との繋がりを否定した力は最強になり得ず、それによる人類の救済も不可能である。
つまり、人との繋がりを否定して得た力・武神の道はそもそも存在せず、人は人でしかないという現実が龐煖の道の答えとなったのでした。
龐煖の全戦歴
ここでは作中で龐煖と戦ってきた主な相手との戦歴を挙げていきます。
摎を撃破
龐煖は他の強者の存在を許しません。
龐煖曰く天が恐るるは地上に唯一人でそれは自分だと言うのです。
馬陽で戦の総大将をしていた秦国六大将軍の1人摎の存在に気付いた龐煖は摎の夜営地に突如現れ単独で襲いかかります。
1人で大将軍の天幕まで進んだ龐煖は望み通り摎と一騎討ちに臨みます。
序盤は摎に劣勢だった龐煖ですが、重症を負いながらも摎を切り伏せるのでした。
王騎に敗れる
摎を討った直後、騒ぎを聞き付けた王騎が現れ数撃で切り伏せられた龐煖。
最後は弓隊に無数の矢を射たれて敗れさりました。
死んだと思われた龐煖でしたが、その驚異的な生命力と回復力で密かに一命を取り留めていたのでした。
信と羌瘣を退ける
王騎に敗れた9年後再び因縁の地“馬陽”で王騎と大戦で両軍の総大将として相まみえることとなった龐煖。
羌瘣の強さに反応した龐煖は王騎が出たと思い込み秦軍の夜営地を単独で襲います。
またもや単騎で進撃する龐煖の目的地は飛信隊がいる場所でした。
飛信隊の隊員達が無惨な姿になっているのを見た隊長・信は怒り、龐煖に立ち向かいます。
駆けつけた羌瘣と2人で龐煖に挑みますが一撃で信は気絶。
羌瘣は奥義・巫舞を使って龐煖と互角以上の戦いを見せたものの、最終的には動けなくなる程に疲弊します。
そんななか、駆けつけた干央軍長のかけ声でその場にいた全軍が龐煖に襲いかかった事で難を逃れた飛信隊。
意識を取り戻した信は飛信隊隊員と連携をとって再び龐煖に挑むのです。
生来の戦闘時の感の鋭さをフルに発揮し、読みを聞かせて龐煖に一太刀を浴びせた信でしたが結局龐煖に瀕死状態まで追い詰められたのでした。
王騎を討つ
一度目の対決で敗れた龐煖は九年後に再び王騎と相まみえます。
秦と趙との馬陽での大戦。
最終盤で互いの総大将である王騎と龐煖が一騎討ちとなりました。
龐煖を追い詰めた王騎でしたが、最後の一刀途中で李牧の側近である魏加の矢が王騎の背中に命中。
そのことで生まれた一瞬のスキを龐煖が見逃さず、王騎を討ち取りました。
ただこの一戦、作中で一騎討ちの内容では龐煖が負けていたと評価されています。
劇辛に圧勝
燕国の大将軍である劇辛を李牧の策と龐煖の武で倒した一戦でした。
序盤から李牧の策で優勢だった趙軍でしたが劇辛がそれを見破り、趙軍の本陣へと自ら迫ります。
李牧を追い詰めたかと思われた劇辛でしたが、そこには武神・龐煖が待っていました。
劇辛は龐煖に偽物(人の想いを紡いだ力を持っていない武将)だと判断されるほど圧倒されて敗れました。
麃公を討つ
合従軍戦で秦国奥深くに侵入した李牧率いる精鋭軍。
それにいち速く気付き後を追って足止めしたのが麃公軍でした。
李牧の策を本能で破り小隊で李牧本陣へ突入した麃公。
李牧を追い詰めたかと思いきやそこにはまたしても武神・龐煖が…
圧倒的な武の力を見せつけて優勢だった龐煖ですが終盤、人の想いの強さを体現した麃公に片腕を折られてしまいます。
しかし最後には秦国の大将軍・麃公を討ち果たしました。
信と痛み分け
合従軍に秦国の首都咸陽の喉元まで迫られた秦軍ですが最後の砦・蕞で迎え撃った秦軍。
山の民の援軍もあり敵を追い返した秦軍でした。
その戦いの最終盤に信は龐煖と一騎討ちを行います。
実力的にも疲弊した体の信の余力的にもとても敵う相手ではないと察した信は
一撃に全ての思いをぶつけます。
この一撃は龐煖を力負けさせ、さらに重症を負わせることに成功します。
龐煖はまだ闘おうとしますが劣性の戦況からそれを断念させられます。
結果的に龐煖が信に追い返されたということになりました。
羌瘣に勝つ
珠海平原の戦いで信を狙って飛信隊の前に現れた龐煖。
しかし龐煖と信を闘わせまいとする羌瘣と一騎討ちになります。
羌瘣の巫舞は蚩尤・幽連を倒す程深みに達していました。
命を投げ出すほどに深い巫舞をおとした羌瘣は龐煖と互角の戦いを見せ、遂には龐煖の指を切り落とすなど深手を負わせます。
しかし龐煖は自分の腕と引き換えに羌瘣を地面に何度も叩きつけ戦闘不能に陥らせました。
信に敗れる
珠海平原の戦いで羌瘣が龐煖に敗れたところに現れた信。
信も龐煖も深手を負った状態で相まみえました。
龐煖にとっては道の答えを求めた最期の戦いとなります。
この戦いは人の感情を否定して独りで武の極みに立った力と関わった人達の思いを紡いだ力、これの最終決戦の構図となりました。
個人の武の極み VS 人の思いを紡いだ武
力・技共に実力が上の龐煖が序盤から信を圧倒します。
しかし信は何度も立ち上がり圧倒的な武力の持ち主である武神・龐煖に立ち向かいます。
既に亡くなった戦友達に助けられながら、命の火を燃やしながら戦う信は徐々に龐煖の力に抗っていきます。
そして信は最後に命の火が消えてしまいながらも龐煖を両断するのでした。
武神 龐煖まとめ
人間を超えた存在になるために武の道を極める。
その為に人の感情を否定し、人との繋がりを断って深山で独り修行に明け暮れている。それが武神です。
ただ極めた武を天に示すことだけを目指し、人生をかけてそれを達成する。
それが龐煖の道であり唯一の目的なのです。
それ以外の物事には一切関心がなく、人を愛する等の感情もありません。
王騎等の武将と対決したのも自分よりも強い者がこの世に存在すると龐煖の道が閉ざされるからだと考えられます。
龐煖が模を天に示さなければならないところを他の者が龐煖より強かったら本人が武の極みに立っていないことになります。
それでは龐煖は道の極みに到達することが出来なくなってしまいます。
そういった事情を考慮すると、残虐なキャラクターのイメージが少し変わりませんか?
他から観ると龐煖が理由もなく強者を倒して回っていた様に思いますが、龐煖の視点から観るとそれも致し方ないことだったのかもしれませんね。