秦軍の若手のなかでも屈指の実力を持つ王賁。
信の良きライバルです。
槍の達人で軍略にも明るい優秀な武人ですが、プライドが高く感情をあまり表に出さないところがあります。
そうした性格形成には王賁の家庭環境が深く関係しているようです。
今回はそんな王賁の情報をまとめていきますので王賁のまた違った一面をこの記事で見つけていって下さいね。
王賁の特徴
王賁は実在した武将
王賁は史実にもその名がしっかりと刻まれています。
秦が他国を滅ぼした多くの戦争に名前が出ている事からも分かる通り、始皇帝による中華統一にはなくてはならない存在だったようです。
キングダムでも今後の活躍は約束されています。
特に、中華統一最後の相手・斉国討伐には王賁・蒙恬・李信の名前が出てきます。
この最後の戦争が作中でどの様に描かれるのか今から楽しみです。
王賁の初登場シーン
王賁の初登場シーンは単行本の17巻第180話でした。
信が馬陽の戦いの活躍を経て三百人将に昇格した後、前線の小さな戦場で武功を重ねていた時、同年代の特殊三百人隊・玉鳳隊の隊長として登場。
当初は信に対してかなり嫌みを連発し、飛信隊についても玉鳳隊全体で笑って馬鹿にしてくるなど感じの悪さが印象的でした。
王氏宗家の嫡男
王賁は名家の王氏宗家の嫡男です。
父親は現・六大将軍・王翦。
分家にはあの旧六大将軍で最強との噂もあった王騎将軍もいます。
原作では言及されていませんが旧・六大将軍には王齕もいますので恐らくこの王齕も王氏の分家だと思われます。
これだけの名家で時期当主となる王賁は相当なプレッシャーを感じていることでしょう。
原作の中で大将軍になるのは自分の責務だと声高に皆の前で宣言したシーンを観ても家柄のプレッシャーが王賁を追い詰めている感じを受けます。
王賁の性格は生真面目で情に厚い?
真面目な一面
父の王翦と同様に表情に感情をほとんど出しません。
プライドもかなり高いようで信との出会いのシーンは下僕出身の信と名家の自分との差を執拗に説いていました。
その後段々と身分格差の話はしなくなっていましたが、当初は下僕出身で活躍している者を鬱陶しく感じていました。
そう思うのは王家の正当な時期当主として大将軍になることが自分の責務だとする王賁の生真面目さゆえだと思われます。
大将軍になるという至上命題を達成することに対する焦りがイラつきを生んだのでしょう。
更に表情には一切出しませんが大将軍に対する強い思いも胸の内に秘めています。
以上からすると王賁は生真面目な性格でプライドが高いが胸の内に熱い想いを持った人物だと言えます。
身内想いの一面は弱点でもある
実は王賁が戦場で非情になれなかったシーンは複数回あります。
普段の感情を表に出さない王賁の姿を観ると父の王翦の様に戦場で非情な判断を下す将だと思いがちですが実は違います。
玉鳳隊の副長・番陽や側近・関常が王賁を救うために命を懸けて脱出路を確保した時でさえ、彼らを見捨てられずに戻り助けに入りました。
父親の王翦の危機にも自身が満身創痍の状態だったにも関わらず死地に迷わず入っていき危機を救っています。
何れも全員何事もなく終わっていますが、それは運によるところも多く、武将の判断としては間違った判断だとも言えます。
事実、父・王翦の危機を救いに小隊で死地に向かった際には王翦から『愚か者』と一喝されています。
身内想いの面が王賁の素晴らしい一面であり、逆に弱点でもあると言えるでしょう。
王賁が嫌い!?実は人気が高いキャラ!
主人公の信とは武将としてはお互いに認めあっている風ではありますが性格的に合わず、会えばお互いに荒い言葉の応酬になります。
時にはお互いに武器を抜いてやり合う事すらありました。
多くを語らず主人公の信とライバル関係である王賁は読者から嫌われていても不思議ではありませんが、実際人気が高いです。
第一回のキングダム公式人気投票において上位を獲得する人気キャラクターとなっています。
こういった人気投票は今後も行われていくでしょうから次回からの結果も要注目です。
許嫁と結婚!子供も誕生!!
第674話で王賁の結婚と子供の存在が明かされています。
蒙恬から李信に話がいくシーンですが、李信が知らない間に王賁は結婚して子供が誕生したという内容でした。
意外とモテる王賁
単行本のおまけ漫画で明かされた様に王賁はモテます。
意外とモテる王賁ですが結婚したのは許嫁の女性。
まだ若いうちに許嫁と結婚・子宝という事実が王賁の真面目な性格を現しています。
王賁の嫁・彩華
王賁の嫁は彩華と言います。
彩華は見た目可愛く、頭も柔軟で明るくて優しい女性だということです。(蒙恬談)
蒙恬も何度か実際、彩華に会っているのでこの証言は信用できるものでしょう。
王賁の武将としての特徴
万能性が高い武将
武将の要素としては、大きく分けて2つの要素があります。
軍略に明るい戦略家の一面と自ら軍の先頭に立って突撃していく様な武力タイプの一面です。
大体の武将がどちらかが優れていて片方は凡庸だったり能力が低かったりしますが、王賁はどちらの面でも非常に優秀です。
ですから王賁は非常に高いレベルで軍略と武力を併せ持った数少ない武将だと言えるでしょう。
王賁の軍略
その生真面目な性格故に当初から理論的な軍略に明るい武将ですが、時に一見賭けに見える様な策を取る場合があります。
奢雍攻略戦では王賁が考えた作戦『同時刻三点突破』を実行に移して戦を勝利に導いています。
この作戦はどれか一つでも突破が失敗に終わるとそれが負けに繋がるという賭けに近い作戦でした。
また、どんなに劣勢でも守る采配ではなく勝利する為の采配を取るといった大将軍の様な軍略を取ることもあります。
このことから、王賁は非常に高いレベルの軍略を持っていることが分かります。
王賁の武力
槍の達人である王賁は武力に関しても非常に高いレベルにあります。
王賁の槍術
幼少の頃から積み上げられてきた鍛練によってその槍術は達人のレベルにあります。
王賁の槍術には特徴的な技がありますのでここで紹介しておきます。
龍指
その名の通り龍の指の形の様に婉曲した軌道を描く突きをします。
この様な軌道を描く攻撃は珍しいらしく、多くの敵が意表をつかれてダメージを負っています。
なお、この技を発動する時は口に出しはしないものの、頭の中で『龍指』と言いながら技を繰り出しています。
ただ、他の槍の達人も同じ技を使っていたので王賁だけの技ではない可能性が高いです。
もしかすると技の名前も槍術の教科書にでも載っているのかもしれません。
龍巣
一瞬で何発もの突きを撃ち込む技です。
龍の巣で何頭もの龍に襲われているイメージでしょうか。
これも龍指と同じく技を繰り出す際に頭の中で『龍巣』と呟きます。
影龍指
背中から迫ってくる相手に対して後ろ向きで『龍指』を放つ大技です。
龍指を後ろ向きで放つのでかなり難易度が高いと考えられますが王賁はあっさりと披露していました。
ちなみにこれも他の技と同じく技を出しながら頭の中で『影龍指』と呟きます。
大将軍としての覚醒
キングダムでは大将軍はどの様な状況でも常に戦の中心に自分がいて全てを自分がブン回すという性質を持っているものとしています。
つまりどんな劣勢でも勝つための戦術を描くことが出来るのが大将軍の資質だと言えます。
王賁も珠海平原の戦いでこれと同じ才能を覚醒させました。
周囲が無理だ撤退だと言う状況で敵将の首を狙った策を打ち出して実行。
過去の大将軍達と同じ才能を持っていることを示しました。
王賁が率いる玉鳳隊
王賁は既に将軍になっているため、もはや隊ではなく軍になっていますが、王賁は士族のエリート部隊・玉鳳隊を率いる隊長でした。
この隊は現在玉鳳軍の主力になっています。
今後も王賁を支えながら共に力をつけていくことでしょう。
玉鳳隊の覚醒
珠海平原の戦いにおいて絶体絶命の局面となった秦軍左翼。
左軍の将であった麻鉱将軍が討たれたため将不在のまま数日間戦います。
総大将の王翦将軍から援軍や指揮官交代の命令が無いまま戦い続ける状況に陥った左軍は限界のところまで追い詰められます。
危機を感じていた王賁は夜のうちに信の下に行き玉鳳隊と飛信隊の覚醒を勝利の絶対条件だと伝えます。
翌日までに二隊を覚醒させないと勝利がない状況の中で王賁も信もこれまでの隊の歴史やこれからの目標を話し、隊員の士気を極限まで上げることに成功。
覚醒した玉鳳隊はそれまでよりも力を増し、敵を圧倒しました。
玉鳳隊の主要メンバー
副長 番陽
王賁の教育係兼玉鳳隊副長。
幼少期から王賁を教育係として近くで見ていた。王賁の努力と才能を誰よりも良く理解し評価する人物。
関常
王翦軍から加入した将校。
戦場では非常に機転が利き王賁としてもかなり重宝している様子。
珠海平原の戦いで王賁を庇い、趙将・尭雲の攻撃を受けて瀕死の重症を負う。
亜花綿
王翦軍からの移籍。
“悪童”と呼ばれ、かなり癖がある人物だが戦場では頼りになる存在。
敵の嫌がることを察知し行動に移せる武将。
王賁が将軍になり玉鳳が軍になってからの加入で玉鳳の戦力アップに大いに貢献した。
王賁の戦歴
王賁が死亡寸前まで追い込まれた激闘三選
王賁の戦歴、とりわけ命の危機を感じる程の激闘を繰り広げた戦いを三つの詳しいまとめです。
輪虎戦
山陽の戦いは侵攻する秦と守る魏の間で大戦となった。
実質的に魏軍を率いるのは魏国に亡命していた元趙国三大天・廉頗。
対する秦国は『白老将軍』こと蒙驁大将軍。
中央と両翼の三軍に分けた戦いは両翼が膠着。中央軍の攻防で決着が着く展開となった。
王賁は中央軍配置で相対する敵は廉頗四天王の輪虎。
彼は『廉頗の飛槍』と呼ばれ圧倒的な突破力を持っていた。
戦の勝利のためには輪虎を討つことが重要になった展開のなかで秦軍の若手三人が密かに動き出す。
蒙驁将軍の孫である蒙恬を中心として輪虎を討つ策を練った王賁・信・蒙恬。
蒙恬率いる楽華隊が潰れ役となり輪虎の本陣の主力である輪虎兵(輪虎の私兵)を削って戦力を削ぎ敵を引き付けることに成功。
その間を王賁率いる玉鳳隊・信率いる飛信隊の二隊が突破し輪虎本陣を急襲。
輪虎対王賁・信の二対一での戦いとなる。
秦軍の若手の中では群を抜く武力の持ち主である王賁と信だったが相手は歴戦の猛者でる輪虎。
ニ対一にも関わらず戦いの主導権を握る。
さらに、この戦いの前に輪虎と一度戦い深手を負わされていた王賁は傷口の影響でスタミナが切れる。
結局信も深手を負わされる等、時間が無くなりその場を撤退することに。
最後の最後で信が輪虎の指を切り落としたが痛み分けの結果となった。
輪虎との戦いで王賁は作中で初めて深手を負わされた姿を晒すことになった。
紫伯戦
秦による魏国の著雍攻略戦。
秦の総大将は騰。魏の総大将は魏国第一将の呉鳳明。
要所の著雍奪取を目指す秦軍だったが呉鳳明によって天然の要塞と化した著雍は正に難攻不落。
騰も含めた作戦会議の席で王賁は三軍同刻同時突破の策を打ち出す。
強固な敵守備に対して玉鳳隊・飛信隊の両五千人隊と録嗚未軍が同刻同時に相対する敵を抜いて呉鳳明本陣を急襲するというもの。
これを無謀とする声も多かったが騰がこれを採用する。
しかし、いざ戦が始まると玉鳳隊と飛信隊の敵はかつての秦六大将軍としのぎを削った魏火龍七師『紫伯』と『凱孟』が。
思わぬ難敵を前に苦戦する秦軍。
王賁率いる玉鳳隊の前に立ち塞がったのは中華最強の槍使い『槍の紫伯』だった。
紫伯と出くわした王賁は傷を負わされながらも一旦離脱。立て直しを図る。
同時突破当日紫伯を抜いて作戦の決行を目指す王賁は紫伯との一騎討ちに挑む。
槍の速さと重さで上回る紫伯が終始優位に戦うが深手を負いながら王賁も型で紫伯の刃を受け止めだし最後は点を突く王賁の槍で紫伯を貫くのであった。
尭雲戦
趙国の王都圏・鄴を奪うため珠海平原で大戦となった秦軍と趙軍。
秦軍総大将は王翦。趙軍総大将は李牧。
共に軍を中央・右翼・左翼の三軍に分けて戦う配置をとる。
王賁は王翦軍第一将・亜光将軍の右翼に入る。
相対する敵には元趙国三大天の一人だった藺相如の側近で武の象徴・尭雲と同じく側近の趙峩龍。
さらに李牧の側近・馬南慈、趙将・岳嬰。
尭雲と馬南慈によって亜光将軍が深手を負わされ将不在となった秦右翼。実質的に王賁と予備隊として右翼に途中参戦した信が将の役割を担った。
李牧の命によって王賁を討ちにきた尭雲。
自らの直下兵と共に王賁を絡めとる作戦をとる。
絶体絶命の中で尭雲を討つ選択をした王賁は必殺の『龍指』で尭雲の右腕を破壊。
次の一突きで勝負ありかと思われたが、尭雲の破壊されたはずの右の一振りによって瀕死の状態になる王賁。
その場は玉鳳隊隊員の命を投げ出すほどの必死の抵抗により脱出に成功するが生死の境をさ迷うことに。
何とか一命を取り留めた王賁は珠海平原の戦い最終日に満身創痍の中復活を果たす。
戦場に戻った王賁は再び尭雲と相まみえる。
既に力なく心臓がいつ止まっても不思議じゃない王賁は一突きに全てを込める。
尭雲の一刀を片手で弾き、そのままその手で空いたところに王賁の一突きで貫いた。
これは右翼の勝利を決定づける会心の勝利となったのであった。
王賁が討った主な武将まとめ
戦歴の項の内容とやや重複しますが王賁がこれまでに討った主な武将二人をここでまとめます。
紫伯
魏国史最強の槍使いと評される槍の紫伯。
槍を志す者で知らない人はいないとされています。
王賁はこの紫伯を相手にかなりの劣性を強いられますが、最後の力を振り絞った一突きで紫伯を貫いて討ち取ります。
これで名実共に王賁は中華でも屈指の槍使いになったと言えるでしょう。
尭雲
元趙国三大天・藺相如の武の象徴であった尭雲。
一度目の対決では敗れて死にかけた王賁。
玉鳳隊の隊員に助けられて何とか命は取り留めたもののいつ心臓が止まってもおかしくない状態に。
しかし王賁はその状態で2度目の対決に向かいます。
勝負は短期決戦となります。
尭雲の一撃を片手で弾き、そのまま尭雲の体を一突きで貫きました。
またしても大将軍級の武将を討った瞬間でした。
父・王翦との確執を完全解説
王賁は父である王翦との間に確執があるとされています。これは王賁の母・朱景に起因するものです。
母が深く関係する
王賁の母・朱景は貴族中の貴族関家の姫。
教養もあり才女にして多くの求婚を受けた女性であった。
王翦と結婚後間もなく王賁を妊娠。
しかし出産を目前にしたある日、王賁の父親が別の人物だという噂が流れる。
これは朱景には好いた男がいてその男の種を宿したまま王翦と結婚したというものだった。
この事について周りの者が朱景に尋ねると朱景は口を固く閉ざした。
結局、朱景はそのことには一切口にしないまま王賁を出産すると同時に亡くなってしまう。
事の真相は闇の中となってしまったのだった。
しかし仮に噂が本当で王賁の父が王翦とは別の人物だったとしたら王賁の存在は『愛する妻の命を奪った赤の他人』ということになる。
そして王翦はその事を疑っている。
以上が王翦と王賁の確執の原因なのです。
二人の確執は周囲の人々の暗黙の了解であり、話の流れも確執の存在を印象づけてきます。
しかし、王翦本人の決定的な発言がないので二人の確執をあると断定は出来ません。
ですから二人の関係性や、これまでのやり取りから予想していきます。
王翦とのシーンから確執を考察
王翦が王賁に言葉をかける数少ないシーンを挙げて確執を考察していきます。
その一.王賁の幼少期
幼少期の王賁が自宅で槍の訓練中。
たまたま通りかかった王翦が槍の構え方の間違いを指摘します。
手をとって構えを教える所が印象的でした。
王賁の教育係であった番陽に対してその場で『しっかりとした槍の師をつけてやれ』と発言しその場を去っていきます。
一瞬の出来事でしたが王翦が王賁の事を考えた言動が垣間見れたシーンでした。
そのニ.戦中
珠海平原の戦いで李牧の側近・馬南慈と傅抵に本陣を急襲された王翦は絶体絶命の状況まで追い詰められます。
そこに瀕死の王賁が小隊で駆けつけて守ろうとする場面。
王翦の前に立ち、馬南慈に向き合う王賁に対して王翦が『理解に苦しむ、お前がその数で入ってきてもこの死地は何も変わらぬ。愚か者が。』と発言。
王賁の判断を叱責したシーンでした。
二つのシーンから確執を考察
まず前提として王翦は多くを語るキャラではないと言うことと、誰に対しても余計な情は持たないことです。
この点を踏まえて上のシーンから二人の確執について考察します。
シーン1では幼い王賁に対して悪意を持っている風には思えません。
会話はしていないものの王賁が頑張っている姿を見て後押ししてやろうという気持ちがうかがえます。
シーン2では王翦の私怨で放った言葉というよりは、一人前の武将として感情的な判断をした王賁に対して発した言葉とも取れます。
そうすると王翦は王賁を疎ましく思っているどころかむしろ一武将として期待しているとも考えられるのです。
結論として、この二つのシーンは確執が原因の発言だとは言えません。
作中では他にも、王翦が王賁を戦略上重宝しない事や窮地に立たされた状態でも助けない事があると周囲の人間達が二人の確執が原因だと発言するシーンがあります。
しかしそれは王翦が軍略上最適な判断を下していただけだとも考えられます。
前提条件で示した通り、良くも悪くも他人に余計な感情を持たずに冷静な判断を出来るのが王翦です。
家族に対しても感情を排した王翦の判断は一貫した態度だと考えてもよさそうです。
王賁を評価する発言
珠海平原の戦いが決した直後、王翦が戦いの総括をしています。
曰く、王翦と李牧の軍略の差はほとんどなく、むしろ李牧の方が軍略の鋭さは上だった。
そんな中で勝負を決したのは王賁・蒙恬・信の若き三人の将が劣性の状況で獅子奮迅の活躍を果たして李牧の策を上回ったからだと。
王翦が具体的に王賁を評価したのは作中では初めてのことでした。
父・王翦との確執はない?
以上を踏まえて考えると、断言は出来ませんが王翦との確執は無いとも言えるのではないでしょうか?
二人は名家・王氏の当主と時期当主ということで、普通の親子の関係ではありません。
特有のよそよそしさがあるのは蒙武と蒙恬の関係でも同じです。
本当に確執があるのなら王賁に槍の師をつけてやれと言うのも状況的に合いませんし。
結論としては母・朱景を発端とした親子の確執は無いとする方が確率的にみて高そうです。
確執に対する王翦の発言が今後あればそれが答えとなるでしょう。
王賁の人間関係まとめ
信との関係は最悪?
信と出会った頃の王賁は身分意識が非常に高く、下僕出身の信をどうしても認めたくないようでした。
その為、会うたびに皮肉を言う王賁に信の方も嫌なイメージを持っていました。
しかし共に同じ戦場で活躍する姿を見るようになってからは王賁の皮肉も少なくなってきています。
それどころかお互い実力は認めていると取れる様な言動もたまに見られます。
戦場においてはある意味最高の仲なのかもしれませんね。
羌瘣との関係
羌瘣との絡みはそれほど多くはない王賁。しかし一度羌瘣が王賁の手当に訪れたことがあります。
珠海平原の戦いで生死の境をさ迷った王賁。
その夜に王賁の天幕に訪れた信と羌瘣。玉鳳隊の面々が半ば諦めている様子でした。
信は羌瘣を手当のため王賁の天幕に入れる事を要請します。
羌瘣は蚩尤族に伝わる不思議な術があり、不思議な治し方や秘薬の作り方がありました。
もはや軍医がお手上げの状況にはうってつけの人物でした。
この羌瘣の手当が効いたかどうかは作中で言及されていませんが結果的に王賁は珠海平原の最終日には戦場に戻っています。
この二人については特に言葉を交わすことは今のところ無いですが、王賁が描いた著雍の戦いの作戦に対しては羌瘣が『身を切るところがあり、急いでいる』と評しています。
王賁が羌瘣を直接評価する場面も無いので関係性的には二人はお互い存在を認識している程度といったところです。
蒙恬との関係は良好!?
他人とは馴れ合いをしない王賁。蒙恬はそんな王賁に対しても積極的に話しかけます。
蒙恬のヒラリヒラリと嫌みをかわす話術に王賁もいつも通りとはいかない様子。
そもそも境遇が似た二人で気持ちが分かるというのもありますし、実力的にも認め合っている両者だというのもあるでしょう。
王賁は明らかに他のライバルより心を許しています。
蒙恬との仲は王賁の他人との人間関係においてかなり上手くいっていると言えるでしょう。
王騎との関係性は?
王氏宗家の嫡男である王賁に対し、王騎は旧六大将軍の一人とはいえ王氏の分家。
原作中で二人が話しているシーンはありませんが王賁が王騎について言及していると考えられるところはあります。
信と初対面の王賁が信と飛信隊について言及したシーンで『どこのバカがたきつけたかは予想がつくがな』という発言をしています。
これは恐らく王騎の事であり、こういう発言を聞く限り王賁は王騎の事を良く思っていなかったと考えられます。
王氏宗家の現当主である王翦の発言ならまだしも、当時十八才の若者が発言するのですから王騎は王氏宗家から妬みの標的にされていたのかもしれません。
王賁の最後はどうなる?今後を考察!
史実を見れば王賁の活躍は約束されているのは間違いありません。
今後は秦国の大将軍として多くの国を滅ぼす戦争に関わっていきます。
王賁は中華統一に大きく貢献したという事実があるのでキングダムの最終回を中華統一までだとすると、最後まで死ぬことはないでしょう。
歴史を観るとある程度内容が分かってしまうところがありますが、キングダムの素晴らしさは史実に沿ったオリジナルストーリーです。
決まっている事実にキャラごとのドラマを見せることによって同じ事実でも全く印象が違ったものになるでしょう。
今後の王賁の展開は作者の原先生のみが知ることですが、大筋として可能性が高い展開は予想できます。
それは、王賁が今後将軍として実績を積んでいき、李信・蒙恬と共に新・六大将軍の一人となり中華統一を果たす英雄となる。
これは今の物語の流れからすれば間違いないところでしょう。
まとめ
王賁のは軍略と武力の両方の面で高い能力を有する稀な武将です。
名家の時期当主であるプレッシャーと真面目な性格で取っつきにくい印象を周囲に与えますが実は胸の内には熱い思いや仲間思いの面もありました。
そんな不器用な王賁ですが、今後はどんどん感情を出していって欲しいですね。
また、続編が決定した映画キングダムでも王賁が出てくる可能性がありますのでそっちの方も要注目です。